『つながり』  by菜野緑



ウィーン…
かすかに音が聞こえ、ゆっくりと青色の瞳が開く。
緊張が走る瞬間。何か瞳に力が宿った感じがして、目があった。
「………」
「わ……っ」
(ダメだ、静まれ心臓!!落ち着け、落ち着くんだ…)
言いかけて詰まった言葉を一旦飲み込んで、瞳を閉じる。大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐いた。
「初めまして、レン。今日からがレンのマスターです」
初めて来たレンが怖がらないように、不安にならないように、最高の笑顔を自分なりに作る。起動する前からそれは決めていたこと。
「今日からよろしくね」

これがとレンとの出会い。





****




「…−マスター、マスター」

どこかぎこちないような声が遠くから聞こえる。

「マスター、起きてクダサイ、マスター」
「んー…」

思考が定まらなくて、その声が夢か現実だかよくわからないまま、とりあえず返事もどきをしてみる。

「マスター、マスター」

声が頭の上から降ってくる。それと同時に軽くほっぺたをペタペタ叩かれる感覚がする。

「マスター、時間…、マスター、起きて」
「んー…?」

何か気配が動いてまた戻ってきた。

「マスター、ほら時間が…」

そう言いながらカチッという音がしたと思ったら、
―8時50分です―
という無機質な音が聞こえた。

「ん、ん…?ん?」
「マスター、時間、マスター」

―8時51分です―
二度目の無機質な音に、思考が覚醒する。

「…っ!!ぎゃあ!!!!!」

そう言って飛び起きると「あぅ」と言って何かが転げ落ちる音がした。

「わわわ、レン!大丈夫!?ごめんね」

そう言いながら、しりもちついている金髪青い瞳の少年に手を差しのばす。澄んだ青い瞳が私の手をじっと見つめる。

「……マスター」

手を差し出したまま「ん?」と答える。

「僕…、大丈夫…、マスター、時間…」
「あぁぁあぁああっ!!!!!」

顔が一気に青ざめていく。このままレンを放置して準備に行く事もできるけど…、うん、やっぱそれは良くないよね。そう納得してレンに呼びかける。

「レン、手!手出して!」
「…え…?」

ちょっと荒い口調にレンはビクッと体を震わせて、恐る恐ると手を伸ばしてきた。その手を持ってぐいっと引っ張ってレンを起こす。

「よしっ!じゃあ、レン。ごめんね、ありがとう!用意するね」

そう言いながら体は準備の為に動き出す。騒がしい音を立てて、数分後には玄関からレンに大きく挨拶をする。

「じゃあいってきまーす!良い子にしててねー」

ガチャーバタン、カチャカチャー。



私の名前は。普通の民間会社に2年勤めているしがないOLだ。本来なら8時50分の電車でもう会社に向かっている途中のはずだが、今朝はご覧の通り、大遅刻だ。現に、まだ駅にも着いてない。うわーん、ばかぁぁなんて心の中で何回も叫びながらもあがけるだけはあがく。だが、悲しいことに、もう若くもないし、息もかなりあがっている。肩で息をしながら、改札に定期をあてて、ホームへ向かう。

(最悪だぁ、ついこの間、部長に時間厳守と言われたばっかりなのに…)

ープルルルルルルッ
電車発車の合図が聞こえた。

(や、やばい…っ、あれには乗らないと!!)
「の、乗りまーすっ!!」

背に腹は変えられない。羞恥心なんてもうこの瞬間はどうでもいい、とりあえず間に合え、私の足!!

ープシュー…ガタンゴトン…
ぜぇはぁとドアのそばで息をする。

(ま、間に合った……)

下に向いてる視線を少し上へ移動する。何人かの人がこっちを見ていた。

(声までだしちゃったもんね…ははっ…)

そう思いながら、そそくさと違う車両に移動することにした。この電車に間に合ったなら、ギリギリ間に合うかな。そう思いつつ、自分の行動を振り返る。そういえば、せっかくレンが起こしてくれているのに、朝にレンとまともなコミュニケーションをとった事がないなぁ…。ちょっと反省。ちゃんと早く寝て、早めに起きよう。もう一人の生活じゃないんだから…。

(レン…いい子にしてるかな…)

ふと思う。



レン、鏡音レンは一ヶ月前に我が家に来たVOCALOIDだ。レンの前に発売された初音ミクでヒットしだしたVOCALOIDシリーズは、当初は単なるアプリケーションだった。それが、技術の発達と高まったニーズによって、3年前にアンドロイド化された。彼・彼女らは、音律を入れると歌うという売りで売り出され、瞬く間に世間に浸透し、今ではすっかり珍しかったアンドロイドタイプも、街中でもちらほら見かけるほどになっていた。
 レンは初音ミクの次世代型で、鏡音リン・レンという双子で登場した。しかしアンドロイドタイプはソフトよりも何倍もお金がかかる為ソフトと違い、単体での売り出しになった。は某動画サイトでVOCALOIDの存在を知り、そしてレンの声に魅了された。金髪、青い瞳、まだ少し幼さが残る顔立ちの少年、ボーイソプラノな声。某動画サイトでは、レンはすっかりショタコンほいほいと位置づけされているが、(いや、確かにその気はあるのかもしれないが)私は容姿というよりは、レンの高らかに響き渡る声に魅了されてしまった。DTMなんて全く知識もないのに、初音ミクに続き、リンレンもアンドロイドタイプが発売されると知った日から、気がつくとお金をしっかり貯めだしているがいて…。発売日当日には間に合わなかったけれど、溜め終わると同時に申し込んだ。


今朝はレンが届いた日のことを夢に見た気がする。

(そっか…あれから一ヶ月経つのか…)

レンは、というか、アンドロイドタイプには学習機能という賢い機能が備わっている。私達、マスターや経験した事を通して、行動が変化する。つまりは、性格形成と言ってもいいような機能がついている。一般的には一ヵ月すると、だいたい完璧に性格は形成されてきて、言動もしっかりしたものになると聞いていたのだが…、うちのレンはまだまだ遅いみたいだ。言葉もまだ足りないし、口数も少ない。

(んー…やっぱり、コミュニケーション不足なのかなぁ…)

そう考えてると、更なる反省要素が出てきた。だいたいの一日の行動を振り返る。8時30分には家を出て、9時30分には出社。帰りは残業や付き合いで不安定だが、だいたい早くて20時〜22時かな。そっからなんだかんだしていて、24時には寝たいなと思いつつ大概25時過ぎに就寝。

(うわぁ…す、少ない…)

レンとのコミュニケーションの時間2〜3時間、これは良くないなぁ…。更に反省点を発見して、深く溜息をつく。

(そりゃあ、成長遅くなるよ…)

朝からどんよりそんな事を考えている間に駅に着き、会社へと小走りで向かった。



****



「う〜ん……」

そう言って伸びをする。チラリと見た時計は、19時半を指していた。そして視線を机の上のパソコンに戻す。パソコンの画面の端には、TODOの付箋がはられている。

(あと、1個かぁ…この調子だったら20時には帰れるかも)

そう思うと、やる気がまた出てきた。今日こそ、今日こそは、早く帰ってレンと遊ぶんだ!そう朝決めた。幸いにも部長は今日は早々と帰っていっている。空席の部長の席をみて、ニヤリと笑う。今日は残業がなさそうだ。気合を入れなおして、またもやパソコンと格闘をし始めた。

〜、終わった〜?」

同僚の声が聞こえる。視線はパソコンの画面のままで答える。

「んーーあとちょっとー」
「ほんと?じゃあさ、私もあと少しなんだ。これ終わったらさ、飲みに行かない?」
「んー…いいよー…」
「やったぁ、俄然やる気出てきた!がんばろっと」

(…ん?)

って、ハッ!なに返事してんだぁぁぁ!!あぁぁぁ〜ついいつもの癖で…適当に返事を…してしまった。どうしよう…と思い作業を一旦止めて同僚をチラ見する。うわ、何あれ。超楽しそうにしてやがる。今更断れない雰囲気出しまくりだ…。

(…ごめん…レン…。チキンな私を許して…。せめて早めに切り上げて帰るね)

心の中でそうつぶやいて、さっきより心なしか重い足取りで作業を再開した。



****



腕時計をみる。23時ジャスト。ははっ、泣きそうだ。明日も仕事があるのに…。最初は良かった明るい酒の場だったのに、だんだん同僚が酔ってきて、愚痴を聞く係になってしまった。こんな事ならあの時に切り上げときべきだった。今更してもどうにもならない後悔をする。結局酔った同僚をタクシーで送って、こんな時間に家に着いた。はぁ、と息をこぼす。

(レン…怒ってるかな…)

鍵を回して扉を遠慮がちにあける。

「ただいまぁ…」

トテトテトテ…と足音が聞こえてレンがこっちへ来る。

「マスター」

まだレンの声質からは感情が読み取れない。コミュニケーション不足だからね、トホホ。靴を脱ぎながら、「んー」と返事をする。

「おかえり…?」

そう言いながら、自身の言葉に自身がないのか、レンは首をかしげた。



瞬間、ここ数日の帰宅時の記憶が過ぎる。レンは、今まで玄関まで迎えにきてくれたはいたけど、マスターマスターと言って黙っていることが多かった。この間、靴を脱いでいる途中にレンが来てた様で、その時は疲れてたのもあってか頭がいっぱいで、視線を上げたらいきなりのレンの出現に驚いて、「わっ」と言ってしまった。レンはその様子にきょとんとしていたので、

「レン、ただいまって言った後はおかえりなさいって言うんだよ」

と教えた。

「オカエリ…?」
「そう、おかえりって言ってくれるとも嬉しいから」
「マスター、嬉しい?」
「うん、嬉しいよ」

そこで会話が終わったので、理解できなかったのかなーとなんとなく思ってしまっていた。



「れ、レン…今、今なんて?」

なんとなく、なんとなく、もう一度聞きたくなって、聞いてしまった。
そんな様子にレンは少し躊躇いながら答えてくれた。

「……おかえり?」
「…っ、レン!!」

嬉しすぎて思わずレンを力いっぱい抱き締める。えへへへ〜となんだか顔がわらっている。覚えててくれた、ちゃんとわかっていた!言葉は少ないけどちゃんと理解してくれていた。レンはのせいで成長は遅いけどちゃんと成長している。そう思うと嬉しくて、嬉しくて、レン、レンと何度も何度も抱き締めたまま彼の名を呼んだ。レンはなんだか、若干戸惑っているようだったけど、おそるおそる手をゆるく背中に回してくれた。

「ごめんね、レン」

そう言うと、レンの背中に回していた手を離して、レンと向き合った。

「……?」

きょとんとするレンにそのまま言葉を続ける。

「今日ね、早く帰って、レンといっぱいいっぱい話そうと思ってたんだ。でもね、すっかり遅くなっちゃった。レンが来て一ヶ月経つのに、レンと一緒の時間あまり取れてないね、ごめんね」

今日ずっと思ってた事を、レンにはきだす。わかってなくてもいい。理解してくれなくてもいい。でも、いつか理解する。レンは、のレンはそういう子だ。それはのせいで、だけど、それは確かにのレンで。

「今度の日曜は休日なんだ。何の予定もないから、入れないから、いっぱい遊ぼうね」
そう言って微笑む。今日いっぱい後悔した。いっぱい反省した。


VOCALOIDはマスターを選べない。一ヶ月経ってるのに、このコミュニケーションの少なさに、不満を持ったっておかしくないくらいだ。VOCALOIDは真っ白だ。マスターが好きという感情はもとからプログラムされていても、負の感情を排除しているという事はない。取扱説明書には、負の感情はなるべく取り除くプログラムをしているが、難しいことは分からないが、簡単に述べると感情に負担をかけないように完全排除まではいかなかったようだ。たまに、ブログで見かける。あまり構えてなかったら、ミクが、リンが、レンが拗ねました〜という日記。そうなってもおかしくない。それは、のレンが単に成長し切れてないから発現してないだけかもしれないけれど。それでも、それでも、そう分かっていても、嬉しい、なんだか嬉しい。


「…遊ぶ?」
「ん」
「マスターと…?」
「そうだよ」

強く肯定する。とたん、レンの顔がくしゃとなったかと思うと、今まで見たことない、こっちまで嬉しくなるような笑顔を見せてくれた。

「遊ぶ、マスター、日曜」

そう言って、レンは部屋にトタトタトタと走っていった。突然のレンの破顔に、の顔の温度は急上昇してしまった。何あれ。少し落ち着かそうと思って、手を額にあてて一息ついてから、部屋へ向かう。もう、いつも通りの表情のレンだったけど、レンの手にはマジックがあった。レンが歩いてきた方向を見てみる。壁…?あ、壁掛けカレンダー…。カレンダーの今度の日曜に丸印とマスター遊ぶと書いてあった。

「…っ、あは」

少し耐え切れなくなって笑う。そんな反応にレンはきょとんとする。そんなレンを見て、おいでおいでと手招きで伝える。トテトテとこっちにくるレン。金髪の髪の毛がくしゃくしゃになるくらい、頭をなでた。

「レンは、かわいいね」
そう言ってなでる。最初は戸惑ってる様子のレンだったが、頭を撫でられるのは嫌ではないようで、顔を少し俯かせてじっとしていた。

「いいこ、いいこ」
「……」

こんなに喜んでくれるならもっと早くからこういう事を言葉にしてれば良かった。もっと早くからいっぱい遊んでれば良かった。色々思うところはあるけれど。とりあえずは、日曜は絶対に空けとかなきゃね。


**END**